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前橋地方裁判所 昭和60年(ワ)169号 判決

主文

一  原告の請求をいずれも棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  原告と被告との間において、被告を使用者、原告を被傭者とする雇用契約が存在し、これに基づき原告が被告の群馬支店長としての地位を有することを確認する。

2  被告は、原告に対し、六〇七万八一五八円及びこれに対する昭和六〇年五月二四日から支払済みまで年六分の割合による金員を支払え。

3  被告は、原告に対し、昭和六〇年六月一日から毎月一六日限り三七万五九九六円の、毎年三月一六日限り一二万一四五〇円の、毎年六月一六日限り四六万一五一〇円の、毎年一二月一六日限り六〇万七二五〇円の各金員を支払え。

4  訴訟費用は被告の負担とする。

5  2、3につき仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

主文同旨

第二  当事者の主張

一  請求原因

1  被告は損害保険の代理業務、生命保険の募集に関する業務等を主たる目的とする株式会社であり、役員、社員のほとんどは警察官退職者であって、主として警察職員、退職職員等警察職域に関する保険業務を行っているものである。

2  原告は群馬県警察(以下「群馬県警」という。)職員であったが、昭和五四年三月群馬県警本部警務部参事官を最後に退職したものである。

3  原告は昭和五五年四月一日、被告に群馬支店長という地位を特定して雇用され、勤務するようになった。

4  ところが、被告は、昭和五九年五月二九日付で、原告に対し、原告の無断欠勤及び業務命令違反を理由に原告を解雇する旨の解雇予告通知をなし、原告を解雇したとして、原告が被告群馬支店長の地位を有することを争っている。

5(一)  原告は、被告から、昭和五九年一月以降同年四月まで左記のとおり月平均三七万五九九六円の給与(固定給+業績手当)を支給されていたが、同年五月以降支給されていない。

(1) 固定給(月額)

基本給 二三万〇六〇〇円

扶養手当 一万二三〇〇円

超過勤務手当 一万五四九六円

資格手当 八〇〇〇円

通勤手当 一万四一〇〇円

勤続手当 一万六〇〇〇円

合計 二九万六四九六円

(2) 業績手当

昭和五九年一月から同年四月まで

月平均 七万九五〇〇円

(二)  原告は、被告から、毎年三月、六月、一二月の各一六日に左記のとおりの賞与を支給されていたが、昭和五九年六月以降支給されていない。

(1) 三月(基本給+扶養手当)×〇・五ヶ月分

(2) 六月(基本給+扶養手当)×一・九ヶ月分

(3) 一二月(基本給+扶養手当)×二・五ヶ月分

(三)  以上によれば、昭和五九年五月から同六〇年五月までの被告の原告に対する未払賃金は、左記のとおり合計六〇七万八一五八円である。

(1) 昭和五九年五月から同六〇年五月までの未払給与

四八八万七九四八円

(2) 昭和五九年六月、一二月、同六〇年三月の未払賞与

一一九万〇二一〇円

6  よって、原告は、原告と被告との間において、本件雇用契約が存在すること並びに原告が被告の群馬支店長の地位を有することの確認を求めるとともに、被告に対し、本件雇用契約に基づく昭和五九年五月から同六〇年五月までの賃金六〇七万八一五八円及びこれに対する催告の日の翌日である昭和六〇年五月二四日から支払済みまで商事法定利率年六分の割合による金員並びに、本件雇用契約に基づく昭和六〇年六月以降の賃金として同年六月一日以降毎月一六日限り三七万五九九六円、毎年三月一六日限り一二万一四五〇円、毎年六月一六日限り四六万一五一〇円及び毎年一二月一六日限り六〇万七二五〇円の各金員の支払を求める。

二  請求原因に対する認否

1  請求原因1及び2の事実は認める。

2  同3の事実中、被告が原告を群馬支店長の地位を特定して雇用したことは否認し、その余の事実は認める。

3  同4の事実は認める。

4  同5(一)及び(二)の事実は認め、同(三)は争う。

三  抗弁

1  解雇

被告は、原告の業務命令違反、無断欠勤が就業規則の懲戒解雇事由に該当するところ、退職金受給権及び原告の将来を慮り、普通解雇することとし、昭和五九年五月二九日解雇予告をした。

2  解雇の理由

(一) 被告の設立目的

(1) 警察共済組合は昭和五二年八月全国警察職員を対象とする団体傷害保険を制度として取り上げ、これを全国の警察職域に推薦した。

(2) 被告は、まず第一にこの団体傷害保険の代理業務を中心に各種保険の代理業務を行うとともに全国の警察職員保養施設への物資の斡旋、販売等を取り扱うことにより警察職員とその家族の福利厚生の増進に寄与することを目的とし、第二に勧奨退職警察職員を採用することにより、退職警察職員の再就職を確保して、警察職員の人事の円滑化に寄与することを目的として、昭和五二年一一月八日設立され、その後、同五六年三月から退職警察職員団体傷害保険の代理業務も行うことになり、退職警察職員並びにその家族の福利厚生のために寄与することをも目的とする会社となった。

(3) 被告は、右設立目的から退職警察職員をもって事業の運営に当たっているので、本社及び各支店の役職員の大部分は退職警察職員であり、このうち本社役職員は、警察庁、警察共済組合等の退職者、各支店社員は各道府県警察職員の退職者をもって充てている。

(二) 原告の採用に至る経緯

(1) 被告においては、前記会社設立の趣旨、目的から各支店社員を採用する場合には、支店長については、警察共済組合本部を通じて各県警察本部に退職予定警察職員の中から候補者の推薦を依頼し、その推薦を受けたものの中から適格者を選考し採用するという方法をとってきた。なお、採用した社員には、日本損害保険協会実施の代理店資格テストを受けさせ資格を取得させているが、これは、代理店の出先機関(被告の各支店はこれに該当する。)を開設する場合及び代理店の使用人として損害保険の募集活動をする場合に必要であり、このため、初めて支店を開設する場合には、支店長候補者を損害保険会社の社員である研修員にさせたうえで、この資格を取得させてきた。

(2) 群馬の場合は昭和五四年四月から研修員制度を取り入れ、資格取得後直ちに支店を設置することをめどとしていた。

(3) そこで、群馬県警警務部厚生課長間野義正(以下「間野厚生課長」という。)は、昭和五三年一一月下旬、同五四年三月末勧奨退職が予定されていた原告に対し、被告の設立目的や業務内容を説明し、県警内部の人事ローテーションから研修期間と支店長在職期間を合わせて四年で退職してもらうことになるが、退職後の就職先として被告はどうか、と退職後の再就職先の斡旋を行ったところ、原告はこれを了承した。

(4) そこで群馬県警本部長は、昭和五三年一二月八日付で、警察共済組合本部宛に群馬支店研修員候補者の適任者として当時警視であった原告を推薦すると同時に、退職者の公平を図るうえから、任期は研修期間を含めて四年とする方針であることを通知した。右推薦の通知は、警察共済組合本部を経て被告に送付され、被告においても原告を開設予定の群馬支店研修員として適任であると判断し、警察共済組合本部を通じて群馬県警本部に対し、原告を群馬支店研修員とすることを了承する旨の回答を行った。

(5) 原告は、昭和五四年三月末日群馬県警を退職し、同年四月一日同和火災海上保険株式会社に研修員として採用され、同年五月一六日日本損害保険協会の行った初級資格試験に合格し、同年六月三〇日には普通資格試験に合格し、同五五年三月三一日に総合一種資格試験に合格した。そこで、被告は、同年四月一日原告を社員に採用し、群馬支店長を命じたのである。

(6) ところで、被告の社員の定年は、就業規則の上では六五歳となっているが、支店社員は、各府県警察本部における人事ローテーションのなかから推薦されてくるため、あらかじめ任期を定め、定年前に後進に道を譲ることを約して採用される者が多いのであり、これは被告ができるだけ多くの警察OB職員に第二の人生の職場を与えようという趣旨で設立されたことや、各府県警察本部内の人事ローテーションを考慮すればやむを得ない措置である。原告の場合も前記のとおり、群馬県警の人事ローテーションに協力して四年で退職することを了解しており、その条件で採用されたのである。

(三) 任期延長に至る経緯

(1) 原告は当初昭和五八年三月末日で任期満了退職となるはずであったため、群馬県警警務部厚生課長岩崎登は同五七年六月一七日原告に対し、再就職斡旋の条件であった昭和五八年三月末日限りでの退職についての確認を求めたところ、原告は、昭和五七年四月に群馬支店の副支店長になった馬場昭臣が勉強中であるため、支店の体制を考えると同五八年三月には退職したくないが、同五九年三月には支店の体制も固まるし後任者に引き継いで退職してもよい旨応答した。

(2) 群馬県警警務部参事官兼警務課長豊島勇は、原告が再就職斡旋に当たっての任期四年という条件を厳守しないのであれば、将来の県警退職予定者の人事ローテーションにも影響するので、昭和五七年六月二一日、人事担当の責任者として原告と面談し、原告の意思を確認したところ、原告において、任期四年との条件は聞いていないと言い出したものの、馬場副支店長が資格を取得し、支店の体制の固まる同五九年三月末には退職してもよい旨応答し、当時の群馬県警の退職予定者の人事ローテーションからみて原告の支店長在任期間の一年延長は特別な支障がなかったためにこれに同意した。

(3) そこで、群馬県警では同五七年六月二四日警察共済組合本部及び被告宛に原告の退職予定年月日を昭和五九年三月末日まで一年延長することを願い出、被告は警察共済組合本部と協議した結果これに同意したものである。

(4) 以上によれば、原告は、被告に雇用される際の条件により当初任期四年で昭和五八年三月末日で退職の予定であったところ、その後原・被告間の合意により、任期を一年延長するということで、同五九年三月末日に退職することになったのである。

(四) 解雇に至る経緯

(1) その後、前記豊島の後任者である関谷昌三(以下「関谷参事官」という。)が、昭和五八年九月六日原告と会って、昭和五九年三月末日の退職意思の確認を求めたところ、原告はこれを了承した。ところが、群馬県警警務部長岩佐栄吉(以下「岩佐警務部長」という。)が昭和五八年一二月九日に原告に会って再度退職の意思を確認したところ、原告は従前の態度を覆し、昭和五九年三月末日の退職を拒否するに至った。

(2) これに対し、群馬県警は、穏便な解決を図るべく、岩佐警務部長関谷参事官らが、原告に約束の任期における退職を説得するとともに、県警退職予定者の人事ローテーションを崩さずに、原告も被告群馬支店ないし他の就職先で勤務が続けられるような妥協案を色々と示して説得に当たり、また被告においても、南条隆弘常務をはじめ、森田勇二業務第一課長、関澤元弘副社長らが説得に当たったが、最終的には、任期における退職はもちろんのこと、群馬県警と被告の示したすべての妥協案が原告に拒否されるに至った。

(3) 群馬県警としては、情を尽くしての県警関係者や被告の説得にもかかわらず原告に任期における退職を拒絶され、そのため原告を被告に推薦した際の条件が守られず、原告ひとりの意思によって県警OBの人事ローテーションが壊されたことから、原告に対する人間的信頼を全く失うに至り、被告に対し、原告と今後まともに付き合うことはできない旨申し述べるに至った。

(4) ここにおいて、被告としても、その業務の多くを警察関連職域の損害保険代理業務が占めるという性格上、原告を群馬支店の支店長として在職せしめておくことは、支店の業務に支障をきたすおそれがあると判断し、昭和五九年三月末日原告を支店長から解任し、支店付の発令をした。ただし、原告と群馬県警との間の信頼関係が失われたことから、原告には一般国民を対象とした損害保険業務の拡販を担当してもらうこととし、給与については支店長当時と同額を保証することとした。

(5) しかしながら、原告は、被告のこの発令に異議を唱え、同年四月一日以降は、同月二日と九日に出社したのみで、無断欠勤を続け、被告が出社して担当業務につくよう業務命令を出してもこれに応ぜず、被告の警告にも耳を貸さず、同年五月一五日には被告代表者自ら前橋市に出向いて、原告の代理人の弁護士に会って業務に就くように説得したが、これにも応じなかった。以上述べた原告の業務命令違反行為及び職場放棄は、被告の就業規則の懲戒解雇事由に該当するところ、被告は、退職金受給権への配慮や原告の将来を慮り、普通解雇処分とすることとし、同年五月二九日付をもって解雇予告をなしたのである。

(五)(1) 以上のとおり、原告は、出身母体である群馬県警本部の再三にわたる説得にも応じず、被告に就職斡旋される際の条件であった在職期間についての合意を守らなかったものであって、このため被告群馬支店の最大の顧客であった群馬県警の信頼を失うに至ったものであり、このような原告を群馬支店長の職から解任して、支店付に降格した被告の処置はやむを得ないものと言うべきである。にもかかわらず、原告は右降格処分に異議を唱えて出社を拒否し、被告の業務命令にもかかわらず、出社拒否を続けたのであり、以上の原告の行動は、正当な理由なき業務命令違反及び無断欠勤に該当するものであるから、被告が原告を解雇したことは正当であったものである。

(2) なお、被告が原告を雇用する際の、研修期間と支店長としての在職期間を合算して四年とする旨の合意は、労働基準法一四条とは何らかかわりのないものであって、同条に違反するものではない。すなわち、労働基準法一四条は、長期間の労働契約による人身拘束の弊害を排除するために契約期間の最長期を原則として一年に制限したものであるところ、被告は府県警察の退職予定者に対して第二の職場を提供するという趣旨で、府県警察OBを雇用してきているのであって、本件における被告と原告の雇用契約も右の趣旨に則ったものであるから、雇用期間の合意は、およそ人身拘束の弊害を伴うようなものではないばかりか、本件における期間の合意の趣旨は、合意による支店長の在職期間が満了した時点で被傭者に退職届を出してもらい被告がこれを受理することにより、その時点で合意により雇用契約を解約するというもので、いわば合意解約の時期を将来の特定時期とすることを合意したことにより、被傭者は当該時期に至れば、被告の要求に従って退職の意思表示をなす契約上の義務ないしは少なくとも信義則上の義務を負うというものであり、労働基準法一四条が適用になる場合ではないというべきである。

(3) また、本件雇用期間の合意は、就業規則の定年制の定めに違反するものではない。すなわち、定年制は、就業規則に定める解雇事由があって解雇されない限り、定年に達するまで一応従業員としての身分が保障されているというものにすぎないものであるところ、これは、雇用契約当事者間で、本件のように一定の時期に退職することをあらかじめ任意に合意することを妨げるものではないのである。

四  抗弁に対する認否

1  抗弁1は争う。

2(一)  抗弁2(一)の事実は認める。

(二)  同2(二)(1)及び(2)の事実は知らない。

同2(二)(3)の事実中、原告が間野厚生課長より、退職後の就業先として被告を勧められ、これを受け入れたことは認め、その余は否認する。

間野厚生課長は、四年で退職になるといった話は一切していない。そして、昭和五五年四月中旬ころ行われた被告の入社式の際にも、昭和五八年三月末で退職してもらうとの話は一切なかったものである。

同2(二)(4)の事実は知らない。

同2(二)(5)の事実は認める。

同2(二)(6)の事実中、定年が六五歳となっていることは認め、原告が任期四年を了承していたことは否認し、その余は知らない。

(三)  同2(三)(1)の事実中、原告が昭和五七年六月一七日岩崎厚生課長と会ったことは認め、その余は否認する。

同2(三)(2)の事実中、原告が昭和五七年六月二一日ころ、豊島参事官と会ったことは認め、その余は否認する。

同2(三)(3)の事実は知らない。

同2(三)(4)の事実は否認する。

(四)  同2(四)(1)の事実は否認する。

同2(四)(2)の事実中、原告が群馬県警及び被告の申し入れを拒否したことは認め、その余は否認する。

同2(四)(3)の事実は否認する。

同2(四)(4)の事実中、原告を支店長から解任し支店付に降格したことは認め、その余は否認する。

同2(四)(5)の事実は否認し、主張は争う。

(五)  同2(五)の事実はすべて否認し、主張はすべて争う。

五  抗弁に対する原告の反論

1(一)  原告は、昭和五八年九月六日、群馬ロイヤルホテルにおいて岩佐警務部長の代理人である関谷参事官から、「来春退職予定の安芸正昭(当時の群馬県警本部刑事部長、以下「訴外安芸」という。)を被告の群馬支店で採用してもらえないか。」との依頼を受けて、これを承諾し、同月七日被告の南条常務に対し、「訴外安芸を被告群馬支店で採用してもらいたい、副支店長として推薦する。」旨述べた。

(二)  ところが、同年一二月九日に至って、原告は、岩佐警務部長及び関谷参事官から、訴外安芸を支店長にしたいので来春退職して欲しい旨要請され、翌一〇日にも右岩佐警務部長からもう一年で退職して欲しい旨要請されたが、いずれの要請も拒絶した。原告は、同月一四日にも岩佐警務部長から、訴外安芸入社後の一定時期に退職してくれるよう要求されたが、これも拒絶した。

(三)  原告は、更に、同月二三日にも被告の南条隆弘常務から、訴外安芸を支店長として採用したいから退職してほしい旨要求され、翌五九年一月一一日にも同様の要求をされたが、これを拒絶した。

(四)  すると被告は、同年三月三一日付で、原告を被告群馬支店長から支店付に降格し、同年四月三日訴外安芸を群馬支店長に任命し、同訴外人が支店長として出社するようになった。

(五)  原告は、右被告の降格処分に対し抗議し、被告との交渉を続ける一方で、支店内の混乱を避けるため、同年四月初旬から群馬支店への出社を見合わせていた。

(六)  ところが被告は、原告の右状況を奇貨として、無断欠勤及び業務命令違反を理由に原告を解雇したのである。

2  原告は被告に就職するに当たって、被告とも群馬県警とも四年で退職すると約束したことはなく、したがって、昭和五九年三月まで在職期間を延長したという事実もないから、降格処分は正当な理由がないものである。そのうえ、被告は訴外安芸を支店長として送り込み、原告の支店長業務を妨害し、原告の出勤を困難ならしめたのであるから、原告を欠勤させた責任は被告にあるのである。よって、被告が解雇事由として主張する原告の無断欠勤及び業務命令違反はいずれも理由がなく、被告の原告に対する本件解雇処分は無効である。

3  なお、被告は、原・被告間の本件雇用契約には、四年間という期間の合意があった旨主張するが、仮に、そのような合意があったとしても、その合意のうち一年間を超える部分は労働基準法一四条に反する無効な合意であるから、一年経過後は期限の定めのない契約となったものである。

第三  証拠関係〈省略〉

理由

第一  被告は損害保険の代理業務、生命保険の募集に関する業務等を主たる目的とする株式会社であり、役員、社員のほとんどは警察官退職者であって、主として警察職員、退職職員等警察職域に関する保険業務を行っているものであること、原告はもと群馬県警職員であったが、昭和五四年三月群馬県警本部警務部参事官を最後に退職し、同五五年四月一日被告に雇用され、被告群馬支店長として勤務するようになったこと、被告は昭和五九年五月二九日付で原告に対し、無断欠勤及び業務命令違反を理由に解雇する旨の解雇予告通知をなし、原告を解雇処分にしたとして、原・被告に雇用契約が存在し原告が被告群馬支店長の地位を有することを争っていること、以上の事実は当事者間に争いがない。

第二  ところで、被告は、原告の雇用に際して原告と群馬県警の間に四年で退職する旨の約束があり、その後この期間は一年延長されたものであるが、原告が約定どおり退職することを拒否したことにより、群馬県警と原告との信頼関係が崩壊し、被告の業務に支障をきたすおそれが生じたため、原告の支店長職を解任降格したところ、原告において無断欠勤の挙に出、業務命令にも応じなかったので、解雇したと主張するのに対し、原告は、そもそも右のような退職の約束はなかったと争うので、以下被告の右主張に即して順次判断する。

一1  前記争いのない事実に、〈証拠〉によれば、以下の事実が認められ、〈証拠〉中右認定に反する部分は前掲各証拠に照らし措信せず、他にこれを覆すに足りる証拠はない。

(一) 被告は、警察共済組合の肝入りにより、同組合が昭和五二年八月導入した全国警察職員を対象とする団体傷害保険の代理業務を中心に各種保険の代理業務並びに全国の警察職員保養施設への物資の斡旋、販売等を取り扱うこと等を業務目的とし、警察退職者を役員として、同年一一月八日設立された会社であるが、その機能においては、警察職員とその家族の福利厚生の増進に寄与すると共に、勧奨により退職する警察職員を採用して、再就職を確保し、警察人事ローテーションの円滑化に寄与することが所期されていた。そして、その後同五六年三月からは退職警察職員の団体である全国警友会連合会が採用した傷害保険の代理業務も行うようになった。

(二) 被告は、その設立の当初においては、東京本社機構のみで発足したが、その後営業の拡大を図ることと、会社設立の目的である全国の退職警察職員採用の実効を挙げるため、各道府県に支店を設ける方針をとり、昭和五三年一二月に初めて長野、大阪、佐賀の三支店が、続いて翌五四年四月には、秋田、神奈川、滋賀、鳥取、高知、熊本、沖縄の七支店が開設された。

右支店開設に当たり、被告は、警察共済組合本部を通じて、各道府県警本部に支店設置への協力を呼びかけ、退職予定警察職員の中から支店長候補者を推薦するよう依頼し、その推薦を受けたものの中から適格者を選考し採用するという方法をとり、その後も同様の依頼を繰り返していた。右依頼の内容には、支店を開設する場合には、支店長候補者を損害保険会社の社員である研修員にさせたうえで損害保険の代理店資格を取得させる必要があることも明示されていた。

(三) 群馬県警本部においても、被告からの支店長候補者の推薦依頼を受けて、昭和五三年九月頃、被告群馬支店の開設とその保険代理業務に協力することを決定し、人事を担当する県警本部警務部で検討した結果、支店長候補者として原告を推薦することとした。昭和五四年三月の勧奨退職予定者の中から原告を選んだのは、原告が難聴であるので、警察組織に関係の深い職場に再就職させるのが適当であろうという配慮によったものである。そこで、昭和五三年一一月下旬ころ、警務部長の指示を受けた間野厚生課長が原告に対し、被告の設立趣旨や業務内容及び被告支店に務める条件として保険の代理店資格の上級を取らねばならず、そのため一年間の研修が必要で研修の間は同和火災海上保険株式会社に雇用されること、群馬県警の退職者の就職のローテーションから代理店資格を取るための研修期間を含めて四年で後任者と交代してもらうことになること、などを説明し、退職後の就職斡旋先として被告群馬支店はどうか、と原告の希望の有無を尋ねたところ、原告はこれに応じ、被告に入社したい旨を回答した。

(四) そこで、群馬県警は、昭和五三年一二月八日、本部長名で警察共済組合本部長宛に「たいよう共済支店研修員の推薦について」と題する書面を送り、〈1〉群馬県警は警察共済組合団体傷害保険の代理業務を、昭和五五年をめどに、既存代理店(同和火災海上の代理店、栗原久一元前橋署長)から、被告に移行する方針であり、昭和五四年四月から研修員を設置したいので、候補者として原告を推薦すること、〈2〉研修員を雇用する会社は、同和火災であること、〈3〉被告群馬支店の業務に従事する者の交替期は、OB処遇の公平を図る上からも、研修期間を含めて四年とする方針であるので、配慮願いたいこと、〈4〉既存代理店の栗原久一については、被告支店の設置された時点で代理店委託を打ち切ることにしており、関係会社、本人とも了解済みであること、を通知した。そして、被告は、共済組合本部から右書面の内容を伝達されて、これを了承した。

(五) 原告は、昭和五四年三月末日群馬県警を退職し、同年四月一日同和火災海上保険株式会社に研修員として採用され、同年五月一六日、日本損害保険協会の行った初級資格試験に合格し、更に同年六月三〇日には普通資格試験に、同五五年三月三一日には総合一種試験にそれぞれ合格した。被告は同年四月一日原告を社員に採用し、群馬支店長を命じ、群馬支店を開設した(右事実は当事者間に争いがない。)。

(六) 群馬県警においては、被告群馬支店開設までは、勧奨退職した県警OBの栗原久一個人が、警察職員の団体傷害保険の代理店を行っていたものであるが、既に代理店経営四年目に入っていたため、後進に道を譲る意味で右代理店業務を移してもらう了承を得て、被告群馬支店を開設したものであるところ、右業務は従前から、保険の代理店業務とはいいながら、団体傷害保険の募集、一年毎の契約更改及び保険料の徴収等については、現実には県警の共済組合担当部門である警務部厚生課が実質的な窓口となって行っているものであって、その協力がなければ、業務遂行に支障を生ずるものであり、これは被告群馬支店開設以後も同様の状況であった。

(七) 昭和五三年当時警察職員には定年制がなかったため、群馬県警では、全国の他の警察同様人事の停滞防止、新規採用の維持、職員の士気高揚等の観点から、一定の年令に達した職員に対しては、退職を勧奨して再就職の斡旋をするのが慣例になっており、とりわけ所属長クラスの職員については、特に人事のローテーションを考慮する必要があるところから、その再就職の斡旋は警務部長、同課長がこれを行っていた。そして、所属長クラスの勧奨退職による再就職先は、県警のしかるべき立場にいた人が県警本部の推薦を受けて就職することから、一般の退職後の再就職の場合に比して、恵まれた職場であることが殆どであり、このような恵まれた再就職先を長期間独占せず、出来る限り多くの警察退職者に斡旋するために、県警の人事ローテーションに協力するべきであるという考えが部内の常識となっており、一定期間経過後は、県警の依頼により退職して後進に道を譲るといったやり方が、慣行として行われていた。

(八) その後昭和五七年六月一六日、被告本社の黒柳総務課長から群馬県警警務部参事官兼警務課長豊島勇(以下「豊島参事官」という。)に対し、「被告群馬支店長の原告には、昭和五四年春、事前研修の期間も含めて四年ということで入社してもらった。来春の昭和五八年三月で四年の満期となるので、その旨本人に示達し意向を確認してもらいたい。また、後任者の問題もあるので県警の意見をお聞きしたい。」との電話があった。

そこで、豊島参事官の命を受けた警務部厚生課長岩崎登が、昭和五七年六月一七日被告群馬支店に赴いて原告と面会し、昭和五八年三月までの在職期限についての意向を確認したところ、原告は、入社したときは任期は全国的に四年ということであったが、自分より一、二年早く入社した人で、まだ辞めてない人もいる。また、現在馬場副支店長が入社したばかりで代理店の資格を取るために勉強中であり、自分が昭和五八年三月に辞めるとなると体制的にも弱くなる旨答えた。

群馬県警警務部では、原告の右意向を受け、後任者の都合なども検討した結果、原告の被告群馬支店長としての在職期間を一年延長することにし、昭和五七年六月二四日付で警察共済組合本部並びに被告に対し、右在職期間の延長を申請し、その了解を得た。豊島参事官は、昭和五八年三月一二日警察庁に転勤となったが、後任の関谷参事官に対し、「原告は、昭和五四年四月、四年の条件で被告群馬支店に採用されたが、一年延長になった。来年には退職することになっている。」旨引継ぎをした。

2  〈証拠〉を総合すると以下の事実が認められ、〈証拠〉中、右認定に反する部分は前掲各証拠に照らし措信できず、他に右認定を左右するに足りる証拠はない。

(一) 群馬県警警務部では、岩佐警務部長の命を受けた関谷参事官を中心として、昭和五八年八月ころから、翌年春の勧奨退職予定者である訴外安芸に対する再就職斡旋の検討をしていたところ、同参事官の前任者からの引継ぎによれば、被告群馬支店長である原告が翌年春には退職することになっていたので、原告の後任として同訴外人を推薦することにした。

(二) そこで、関谷参事官は、昭和五八年九月六日前橋市大手町一の九所在の群馬ロイヤルホテル内の食堂において、翌五九年の春の退職の意思を確認するために、原告と面談した。

(三) 岩佐警務部長は、右面談の結果報告を受けて、原告が昭和五九年三月限りの退職を承諾したものと判断し、昭和五八年一〇月八日警察共済組合本部に赴き、原告が昭和五九年三月限り退職する意思表示をした旨を報告し、後任候補としては訴外安芸を推薦したいこと、できれば原告を一年位嘱託で採用してもらいたいこと等の件について協議し、後任候補として訴外安芸を推薦することについては共済組合本部の了承を得た。

(四) 岩佐警務部長は、原告が県警の人事ローテーションに協力して退職してくれることに謝意を表するとともに、人事担当部長として最終的に原告の意思確認をすべく、昭和五八年一二月九日前記ロイヤルホテルにおいて関谷参事官とともに原告に面会したところ、原告は昭和五九年三月で退職するつもりはない。あと二年は勤めたい。安芸は副支店長として受け入れる旨繰り返し主張した。

(五) 岩佐警務部長は、昭和五八年一二月一〇日前橋市元総社町一五二-七所在の警察共済施設みやま会館において原告と面会し、被告群馬支店長のポストを安芸に譲ってほしい。原告に希望があれば、第三の職場を斡旋しても良い。仮に安芸を副支店長として受け入れるとしても、一年で支店長ポストを譲ってほしい旨説得したが、原告はもう二年支店長として勤めるという自己の主張を繰り返すだけであった。

(六) 昭和五八年一二月一四日原告から岩佐警務部長に書簡(右書簡の控が甲第三号証である。)が届いたが、右書簡によれば、警務部長の側から解決案を提示してほしいということであった。そこで同警務部長は、翌一五日前記みやま会館において原告と面会し、「第一には、被告に入社した当初の約定に従って昭和五九年三月末をもって安芸刑事部長に支店長ポストを譲ってもらいたい。希望があれば他の就職先を考える。次善の案としては、とりあえず安芸氏を副支店長で採用し、同氏が代理店の普通資格を取得したら支店長を交代してもらいたい。更に原告が昭和六〇年三月まで嘱託として勤務できるように被告及び警察共済組合本部に依頼する。なんとか円満に解決できないか。」と説得に当たったが、原告は従前からの自己の主張を繰り返すとともに、被告の人事について第三者である群馬県警が介入するのは不当である旨群馬県警を非難するに至った。

(七) 岩佐警務部長は、原告から会社人事に対する県警の介入を非難されたのを考慮し、昭和五八年一二月一九日被告本社に出向いて、南条常務に対し、これまでの経緯を説明するとともに、被告から原告に対し、円満に退職するよう説得してほしい旨依頼した。これを受けて、被告においても同月二三日原告を本社に呼び出し、南条常務が原告の言い分を聞くとともに、原告が入社する際に群馬県警から在職期間は四年ということで推薦を受けていること、被告の業務はその大半が警察職員を対象としているものであること及び被告設立の経緯等を説明したうえで、県警人事に是非協力して円満に退職してほしい旨、また希望があるなら支店長退職後も嘱託として勤務できるようにする旨説得を行い、今一度警務部長に会って話し合うよう勧めた。その後の翌昭和五九年一月一四日岩佐警務部長は、群馬県警本部公安委員会室において原告と面会し、原告が被告に入社した際の経緯や、これまでにも多くの県警OBが後輩のために円満に退職してきた例などをあげて説明に当たったが、原告はこれまでの主張と同様のことを繰り返し、更には、団体傷害保険のシェアを二〇パーセント三年間原告個人の代理店に分けてくれゝば辞めても良いと群馬県警として到底受け入れられない要求をするなどして、歩み寄りの姿勢を見せなかった。

(八) 群馬県警においては、事情を知る職員の中から原告の行動は県警に対する信義にもとるものであるとして非難の声があがっており、また被告の業務に関連する事務を担当する職員の間においても、今後原告とは付き合うべきではないとの、強い意見も出るようになった。そこで、岩佐警務部長は同年三月中、数度にわたり被告に対し、現職警察職員の信頼を失った渡辺支店長では、業務の協調推進を図ることは困難である旨申し述べるに至った。

3  〈証拠〉によると、以下の事実が認められ、〈証拠〉中、右認定に反する部分は前掲各証拠に照らし措信できず、他に右認定を覆すに足りる証拠はない。

(一) 被告においては、前認定のとおり、昭和五八年一二月二三日原告を被告本社に呼んで群馬県警の人事ローテーションに協力して円満に退職するよう説得に当たり、もう一度岩佐警務部長に会って話し合うよう勧めたにもかかわらず、昭和五九年一月一四日の原告と岩佐警務部長との話合いも物別れに終わったということで、あくまで県警と原告との間の円満な解決を企図して、同年一月二四日には本社の森田勇二業務第一課長が群馬支店に赴いて原告を説得し、同年二月二二日には関澤元弘副社長が電話で退職を勧告したが、原告は従前からの態度を変えようとしなかった。更に被告は、関澤副社長の右電話の際、原告から文書が欲しいという要望があったので同月二三日付で、原告に対し、雇用期間の満了により同年三月末日限り被告社員の資格を失う旨の通知を発したが、原告はこれに対しても異議を述べた。

(二) 同年三月中旬になると、群馬県警内部での原告に対する非難も高まり、原告を支店長においたままでは近い将来群馬支店の営業に支障をきたすような状況になったことから、被告においては、村林保彦社長、関澤副社長、その他の課長ら幹部が協議した結果、三月末までは円満退職するよう原告に対し説得を続けること、最終的に原告の協力を得られない場合には、被告群馬支店の最も大切な顧客である群馬県警の信頼を失っている原告を支店長職に留めておくことは出来ないので、原告の支店長の職を解いて、支店付とすることを決定した。

(三) 右の決定を受けて、被告の関澤副社長と森田業務第一課長は、同年三月二八日群馬県警本部にて、河村県警本部長、岩佐警務部長らに面会し、県警と原告とのこれまでの折衝状況、原告に対する県警の考え等を確認した後、被告群馬支店において原告と面会し、「県警OBとして、県警の勧奨退職者に対する就職斡旋の趣旨については十分承知していると思う。県警の先輩達も皆後進のために道を譲ってきた。原告も県警の人事ローテーションに協力して円満に退職してほしい。支店長を辞めても嘱託として被告に残る道も開かれているし、県警としても再就職の斡旋をするといっている。」旨説得に当たったが、原告は、被告が扱っている警察職員団体傷害保険のシェアを原告個人に分けるよう主張するなどし、被告側の説得に全く応じない状況であった。そこで、関澤副社長としては、これ以上の説得は無理と判断し、原告に対し、「被告群馬支店にとって群馬県警本部は最大のお得意先である。原告が県警の信頼をすっかり失ってしまっていることは、被告の運営に大きな支障をもたらすことになる。従って支店長のポストに留めておくわけにはいかない。三月末日をもって支店長の職を解き、支店付とせざるを得ないので承知されたい。」と述べ、その後森田業務第一課長が更に説得に当たったが、結局話合いは物別れに終わった。

(四) 右に述べたとおり原告に対する被告側の最後の説得も効を奏さなかったので、被告は、前記決定に従い、昭和五九年三月末日、原告に対し、群馬支店長を解任し支店付を命ずる旨の辞令(甲第七号証)を出すとともに、後任の支店長には群馬県警の推薦した訴外安芸を採用した。原告は、被告の右処分に対し、同年四月三日付の書簡で、右処分には承服できない旨異議を述べた。

(五) 原告が、右のとおり被告の処分に異議を唱えたので、被告は、原告に対し、昭和五九年四月九日付で、右処分の理由を示すとともに、今後は群馬県警以外の顧客を対象とする保険代理業務その他の管理業務を行うべしとして、支店付の業務内容を明らかにし、原告に対し、すみやかに出社して業務に就くよう業務命令を発した。

(六) ところが、原告は同年四月以降二度出社したのみで、出社しないようになったので、被告は、同年四月二三日付で、原告に対し、すみやかに出社して業務に就くよう重ねて業務命令を発した。これに対し原告は、弁護士を通じて、被告の前記処分を撤回するよう要求したので、被告は同年四月二六日付で、原告に対し、重ねて前記処分の理由を説明するとともに、出社するように通告した。

(七) 更に被告は、同年五月一五日村林社長自ら前橋市に出向いて原告及び原告代理人弁護士茂木敦と面会し、業務に就くよう説得したが、話合いは物別れに終わり、原告はその後も出社しなかった。

(八) ここに至り、被告は、原告に対し、同年五月二三日付で、原告が今後も業務命令に従わず、何等正当な理由がないのに無断欠勤を継続するような場合には、社員就業規則の定めるところにより解雇せざるを得ないことになる旨の警告をなした。

(九) しかるに原告は、その後も被告群馬支店に出社しなかったものであるところ、被告は、このような原告の行動は、社員就業規則に定める制裁事由に該当し、懲戒解雇事由に当たると判断したが、原告の利益を考慮して原告を通常解雇することとし、同年五月二九日、原告に対し、社員就業規則第三九条第四号に基づき、原告の業務命令違反及び無断欠勤を理由として、通知到達後三〇日をもって原告を解雇する旨の解雇予告通知をなし(〈証拠〉)、右通知はおそくとも同年六月二日には原告に到達し、原告はおそくとも同年七月二日には被告を解雇された。

二  右認定の事実によれば、原告は、四年経過後には後任者に交代してもらうという県警の人事ローテーションを了承して再就職の斡旋を受け、被告に就職したものであるから、四年後には、任意退職することを、群馬県警と約束したものというべきである。

三  そこで、次に被告が、昭和五九年三月三一日付で、原告の支店長職を解いて、原告を支店付に降格した処分の当否につき検討する。

原告は、前認定のとおり、退職予定時期を一年延長された上で、群馬県警が、昭和五九年春の人事ローテーションの都合から、被告群馬支店長のポストに訴外安芸を推薦すべく、任意退職を要請したところ、これを拒絶し、あと二年は被告に支店長として勤めたいと主張して、群馬県警幹部や被告幹部の再三の説得並びに妥協案にも耳をかさず、断固として自己の主張を固持し続け、このために県警関係者から強い非難を受けるようになったものであるが、前記のとおり、勧奨退職者は、警察の斡旋があるがゆえに、平均的な退職後の再就職の場合に比較して恵まれた職場に就職できるのであり、これまで警察内部では勧奨退職者がこのような恵まれた地位を独り占めすることなく、一定期間経過後は、後進にその職場を譲るといった慣行が定着していたのであり、それがまた警察の人事を円滑にしてきたものであるということに照らすならば、右の非難は理由があるものといわねばならない。

そして、前認定のとおり、被告群馬支店の業務の大部分は群馬県警関係の警察共済組合団体傷害保険及び退職警察職員団体傷害保険の代理店業務であって、群馬支店の最大の顧客は群馬県警であるうえ、右代理店業務を遂行するに当たっては、群馬県警の多大な協力を得ているものであり、群馬県警の信頼を失っては今後の同支店の営業に重大な支障が生ずることは見易い道理であるから、原告が引き続き被告群馬支店長の職に留まれば、被告群馬支店の営業に多大の支障をもたらすであろうことは明らかであったといえる。

これを要するに、原告は被告群馬支店長の職に必要な適格性を欠くに至ったものであり、被告が原告の群馬支店長の職を解いて、支店付に降格し、群馬県警以外の顧客を対象とする保険業務等の業務を命じたことは、正当な措置であったものというべきである。

四  次いで、被告が原告を解雇したことの当否について判断する。

1  前認定のとおり原告は、降格に対し、異議を述べるとともに、その後の業務命令に従わずに出社を拒否し、約二ヵ月にわたり無断欠勤を継続していたものであるが、降格が妥当なものであったことは、上述したとおりであり、してみると、降格後の被告の原告に対する再三にわたる業務命令もすべて正当であったものといいうる。

そして、原告の右出社拒否は、正当な事由なき無断欠勤であるとともに、業務命令違反として、被告社員就業規則(〈証拠〉)第三七条六号及び一一号に該当するものであり、同規則第三八条に定める制裁の対象となる行為であることは明らかである。

2  右に延べたところに、前記本件の原告が被告に就職するに至った経緯、被告が原告を支店長から支店付に降格するに至った経緯を総合すれば、原告の右行為は被告就業規則所定の懲戒解雇の制裁をうけても致し方のないものであると考えられるから、被告が原告の利益を考慮して、通常解雇したことも正当な措置であったと言うべきである。

五  以上述べたところによれば、被告の原告に対する本件解雇処分は有効であり、被告の抗弁は理由がある。

第三  以上の次第で、原告の本訴請求は、その余の点について判断するまでもなく、いずれも理由がないから、これを棄却することとし、訴訟費用について民訴法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 清水悠爾 裁判官 田中由子 裁判官 大久保正道)

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